60歳からの夫育てを1年前に終了していたはずが。
最近 いやここ一年 注意することが増えてきている。整ってて当たり前、誰がどのようにして、今の環境を維持しているのか、を気にしなくなっている。
そのひとつ
洗濯が終わって、取り出すまでのわずかな時間に
閉まっているトビラを開けて、汗をかいたシャツなどを ほりこむ。
「洗濯中」という札を作って、洗濯機前に吊るす、こともやってみた。
洗濯機のトビラの説明もやってみた。
でも、札を忘れると、もうダメ
昨日の朝は
「洗濯機に今は入れられないよ」と声をかけていたのに、わざわざトビラをあけてポイ。
「なんで?」と怒ると
「札をかけてなかったからや」と
見事に私のせいにして、ずっと今日もむくれている。
人のせいにできないように、貼り紙をしてみた。
テレビで「洗濯ほど時間のかかる家事はない」と言っていた。分別して、洗って、干して、取り込んで、たたんで、かたづける。
オットは、1人暮らしで洗濯はしたことがあっても、家族の洗濯をしたことがない。
母親が洗濯物をたたんでいるのも、見たことがないと言う。だから、洗濯したものをきれいにしまったこともない。シワにならないようにしてあるものを、着る前にシワにしてしまう扱いも平気。
したこと・見たことが無いことを理解するには、気持ちと想像力が必要。
歳をとるということは、そういう気持ちや想像力が少なくなっていくことなのか。
自分への戒めにもしていかなければ。